Mediterranean and beyond

TokyoからBarcelonaを超えTel Avivまで。海と空をまたぐおもしろブログ。

ナバテア王国。諸行無常!

ヨルダンのペトラ遺跡に行ってきた。この遺跡は死海から南に80km行った渓谷にあり、ナバテア王国という紀元前後に栄えた王国の首都が昔存在していた。遺跡自体は5km2 という広大な広さとなっていて、未だに85%の部分は未発掘になっているとされている。インディージョーンズの映画の舞台にもなった宝物殿というかつての王の為に作られた建物(岩を削って巨大な洞窟にしたもの)が有名。イスラエルからは、今回はテルアビブ内のSde Dov空港からEilatという紅海に面した港町に飛び、そこから国境を陸路で超えてバスで2時間ほどかけてペトラにたどり着いた。

 

世界を知ることで繁栄を築いた

この遺跡がやばいのはまずはナバテア王国という国のそそる感である。ペトラがあったエリアはシルクロードの通商上の重要なエリアで、ナバテアを作った人々は元々はシルクロードで商売をしていたキャラバンであった。ガイドによると、彼らは商品を仕入れるため世界中を旅していた為、例えば中国でどのようなものが生産されているとか、他の国の統治のシステムがどうなっているかとか、そういうことを知っている。そこで、彼らはその知識を使ってこのペトラがあった地に国を作れるんじゃないかと思いつく。彼らは、灌漑のシステムや砂漠でのワインの作り方といった技術的なことから、シルクロードの通商ルート上に関所を用意して税を徴収するといったシステム的なことまで、様々な知識をこの地域に持ち込み、繁栄を築いていった。ガイドの言葉でいえば、今のドバイのような繁栄がこの地に築かれていた。主に税で繁栄を築きながら、国民の多くはキャラバンを続けていた。

この行商人が世界を旅しながら知識を仕入れ、自分たちの王国を作るという成り立ちが、何ともそそる。宗教とか権威じゃなくて、商売とエンジニアリングでのし上がっているのである。繁栄を続けながらも国民はキャラバンを続けていたらしいが、その生活のあり方は(完全想像だが)キャラバンをしている人は数年に一度旅から帰ってきて、「よく帰ってきた!」みたいな感じでナバテアに残っていた老若男女に迎えられたんだろう。なんだこのロマン。

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ナバテア王国。見えている全域が都市だった

ナバテア人のエンジニアリング力

ナバテア人のエンジニアリング力も見所である。彼らは知識を世界中から仕入れていたが、それを王国の中で再現している。例えば、水を引く技術。王国の中に入る為に細い渓谷となっている道を通るが、よく見ると水路の跡のようなものが見える。これは、かつて水を引く為に設置された管であり、水がどこかで詰まらずスムーズに流れるように、2度の傾斜を保つように工夫されている。また、宝物殿の建築にはローマの技術が使われている。この国はかつてローマ帝国の自治州(自治を許され国防をローマから提供されている代わりに、ローマに対して税を払う)のような位置づけであったが、それに連れてローマから技術の知識が入ってきた。宝物殿はものすごい高さになっていて、岩を削って建造されているが、削る過程で岩の大きな部分がボコッと落ちてこないように工夫しなければならない。そのために、まずは削りたい壁面の上まで砂を敷き詰めて、その砂の土台を使って上から岩を削っていき、同時に砂が壁面を抑えつける圧力をかけるため、岩が剝がれ落ちてこないように工夫されている。現代の技術をもってしてもこの砂によって圧力をかける方法でないと綺麗に壁面は削れないようで、その技術力が約2,000年前の当時からあったのである。

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宝物殿。ナバテアが最大勢力を誇った時の王を讃えた建物

諸行無常

この王国は、二つの大きな要因によって廃れていった。一つは、シルクロードの通商ルートが代わり、交通の要衝としての優位性が薄れていったためである。海上貿易が発達するに連れて、交易ルートが紅海を使ったものに切り替わっていった。また、陸上の交易も、シリアを通る道が盛んに用いられるようになった。これらにより、ペトラの優位性が相対的に減ってしまったのである。もう一つが、キリスト教の普及。元々ナバテアはローマの傘下にあった。ローマ自体は元々キリスト教を忌み嫌っていたが、紀元後313年のミラノ勅令によってキリスト教が認められるようになったことを皮切りに、キリスト教がローマの国教となっていった。この影響はナバテアにももちろん及ぶのだが、ナバテア自体は山や石といった自然に崇拝の対象を求める文化があり、この教えがベースに国が造られていたため、キリスト教の普及に伴い信仰の観点から求心力を失ってしまった(ガイド談であり、なぜナバテアもキリスト教を取り入れなかったのかなどわからない点はある)。これらの外的な要因に対処しきれず、紀元後350年頃に都市が放棄され、以後1,500年近く歴史から完全に消えてしまっていた。

まさに諸行無常の世界で、一時期は超絶に繁栄していた国が、最後は放棄されてしまったのである。

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ナバテア王国に続く道

こうした知識をガイドから仕入れつつペトラを見ると、なんとも言えない感動が湧いてくる。今は建物が風化してしまっているが、かつてはここに巨大な国際都市があったのである。世界をいろいろと旅したが、有数の歴史ロマンが詰まった場所であると思った。ナバテアやばし!